いくじにっき

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2006年に出産した新米母さんです。子育てする日々をつづっていきたいと思います。
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まままま・・・と息子が意味もわからず、私を呼んでいたのですが、

私としてはやはり母はお母さんと呼んで欲しいと思い、今から

着々と洗脳することに。

ママというのもいいのですが、どうも自分がそのキャラクタではないし、

くすぐったい・・・。

夫もパパというより、お父さんというかんじだし。。

なにより私がもう夫をお父さんと呼んでいるので、ここはそろえて

もらわねば・・・。

ということで、まずはしつこく教え込むことに。

私を指差しながら、お母さん、お母さんよ~。

・・・まあ、無視です。

大体いきなりお母さんは無理だろうということで、作戦変更。

お母さん→たーたんで教えることに。

そしてあとは同じく言い続ける。

しつこくしていると、時には顔をぐいっと押され・・・。

母なんですけど(怒)と高圧的に出る場面も。

と、まあやっていたものの、いきなりは無理。

徐々にやろうか・・・なんて思っていたところ。

夕方、私が食事の準備をしていると、戸口のところで声が。

「たーたん、たーたん。たたた・・・」

およっと思って振りむくと偶然なのかなんなのか息子がしっかり

私を見てたーたんといっております。

あらびっくり。

驚きのあまりすぐ応えられず、4回くらいのたーたんをみのがして

ようやく返事をしました。

すると息子はにこっとしてこちらへやってきました。

わかってるのかしらねえ。

偶然にしろ、なんとなくしゃべりだしてからのかんじが思い浮かべることが

でき、うれしい瞬間でした。

そのうち20年もしたら、おふくろとか言われんのかしら。。

うーん、怖いようなうれしいような。

まだ先なのでとりあえずしゃべれるようになると思われる2,3才を思い

浮かべ、ちょっと余韻に浸ろうと思います。

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今日は朝からあまり食欲ないなあ。

思ってはいましたが。

昼もほとんど食べず、牛乳ばかり飲む。

おっかしいなあ、どっかわるいのかなあ。

そう思うも表面上とても元気なので、ばあばともうホットケーキに飽きた

のかねえなんてのんびり話していたのですが。

その夕方。

夕飯にご飯と焼き魚を食べていたのですが、突然、すべてを嘔吐。

ただただビックリして、おろおろしてしまいました。

突然のことに弱い母です。

とりあえずばあばに電話。

病院に連れて行ったほうがいいのではということでかかりつけの病院に

いくことに。

調べて知りましたが6時半までやってるとのことでありがたいことです。

慌てて、息子の服を着替えさせ、とるものもとりあえず転車で病院へ。

もう終わりに近いし、人も少ないだろうと思っていたら、大違い。

インフルエンザ予防接種のために人、わんさか。

元気な子が多かったのが幸いですが。。

熱を測ると平熱。

どうやらインフルエンザなどの強いウイルスではない様子。

でも待っているあいだ、とても機嫌が悪く、ずっと立ち抱っこ。

ちょっと座ってもまた抱っこしてくれと騒ぎたて、この繰り返し。

飲み物でも飲ませておちつかせようかと思っても、急いできたので

すっかり用意を忘れ。。

仕方ないので抱っこしていたら救いの神が。

夫が早く帰ってきたので今から駆けつけてくれるというのです。

ジュースを持って10分後、病院へ。

ここで大分、精神的に落ち着いた私。

息子もジュースを飲んでひと段落。

そんな時、名前を呼ばれ診察室へ。

私が一生懸命症状を説明している中、あの不機嫌さはなんだったんだ!

と追求したくなるほど、息子はご機嫌。

先生の机の上のあやすように置いてある車でぶーぶーーー。

おい!!

結局、診断はウイルス性胃腸炎でした。

冬にはやるノロなどではなさそうなので安心です。

昨日、公園に言った際、木の葉をまたばりっといっていたようなので

そういうのも関係あるのかも・・・。

ほっと一安心です。

家に帰ると、やはり息子は本調子でないのか、なにも食べることなく

すぐに眠ってしました。

早く治るといいのですが。

冬は乾燥のせいか、いろんな感染症が蔓延しやすいので、これからは

注意が必要だなと改めて思いました。

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今まで一度だって喧嘩したことないんですよ。

と、いう夫婦をたまに見かけますが、うちは喧嘩しあいながら仲良くなる

兄弟のような夫婦なのです。

というかむしろ喧嘩というより、意見のぶつけあいが激しいだけなんですが。

2人とも主張が激しく、とりあえず2人とも興奮状態で意見を言い合います。

そしてお互い言い合ったあと、なんとなくばらばらに行動し、互いに冷静に

なったところでそれなりに答えが導き出されるのです。。

やっかいなんですが、なんとなく確立してしまったこの喧嘩風(というか喧嘩に

しかみえまい)議論。

これは息子にはみせまいと思っていたのですが。。

・・・本日、はずかしながらお昼からどんちゃか。

もちろん息子も巻き込まれる。

あまりの2人の形相からかぽかんとした顔。

ああ、ここでやっちゃだめだ~と心の中で思っているのに、ついつい止まらず。。

いつものとおりやってしまいました。

きっと息子はビックリして、そして不安になったに違いありません。

・・・ああーやってしまった・・・と思ってもあとの祭り。

はあ。

親、失格です。。

その夜、やはりこの影響からか普段ぐっすりなのに、何度も夜に目覚め、

泣いて起きました。

ごめんなさい、ごめんなさい。

もうしませんから、許して!!

・・・反省です。

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私は彼女と15歳の時に知り合いました。

同じクラスでたまたま近くに座った彼女。

私とも全く違ったタイプで、とっても積極的。

運動部に入り、どんどん人を仕切っていく。

そんな子でした。

どうしてだか仲良くなり、よく一緒にいろんなことを話しました。

2人とも絵を描くのが好きだという共通点があったからかもしれません。

いつも元気一杯で、明るかった彼女。

そんな彼女がいつからか、バレーで痛めた膝を気にし始めました。

これが始まり。

近くの病院で見てもらったところたいしたことないとの診断。

シップをはって様子を見るも、全くよくなる様子がありません。

仕方がないので違う病院へ行って、そこで初めて知りました。

彼女の足は普通の怪我ではありませんでした。

骨肉腫だったのです。

私は当時がんという言葉は知っていましたが、人が死んでしまうような

大病だというイメージがそんなになく、特に彼女は若かったし、きっと

治るのだろうと思っていました。

彼女もその病気を抱えながら毎日学校に登校し、表面上はいつもの

学生生活を送っているように見えました。

そして高校入学。

私と彼女はエスカレーター式の学校に通っていたため、そのまま高校に

入学しました。

しかしクラスは離れ離れに。

でもおなじ構内。

廊下ですれ違ったりするたびに近況を話しあい、クラスが離れた割りに

とても仲良くしていました。

いつも明るく、楽しい彼女。

しかし、本当はそんなことはなかったのです。

当時、すでに抗がん剤による厳しい治療の真っ只中で、激しい吐き気に

苦しみながら、登校していたのです。

年頃の彼女の髪の毛は抜け落ち、かつらを着用していました。

それを聞くと、ふつうなら大丈夫なの!?と心配しきりですが、彼女はそれを

いつも軽くいうのです。

吐き気がすごくて・・・と言う愚痴もさらっと流し、隣の患者さんのとの話を

面白おかしく話したり、みんながじろじろ見ている中でもすっとかつらをはずし

あついな~とあおいで笑いを誘ってみたり。

本当はとても辛いだろうに、苦しいだろうに、それを見せないで、周りばかり

考えて。

でも、私はそのときはそうはあまり考えていなかったかもしれません。

というのもやはりこの病気に対する無知さと若さから来るものだと思います。

また彼女のその明るさを真に受けていたせいもあります。

本当に何にも考えていない子だったのです。

その後彼女は一度、手術を受け、完治したかのように思われましたが、再び

転移がわかり、再度治療に立ち向かいました。

2度目はその病変から、片足の膝下切除も行われ、2度目の完治に向けて

頑張りました。

その間彼女と私の友好は続き、家に遊びに行ったり、電話で連絡をとりあった

りしていました。

彼女は頻繁に私を誘ってくれましたが、私は当時家のほうがごたごたした

こともあり、また当時、友人というものに対してとても冷めた目を持っており、

彼女に要望、すべてに応えることはできませんでした。

いまでもそれが無念でなりません。

そうして18歳になった11月のある日。

私はその日行われる模試をずるやすみして家でぼんやりしていました。

当時の私といえば高校3年生にもかかわらず、未来が見えず、受験にも

真剣に取り組めず。

そんな子だったのでこの日も思いっきりのんびり過ごしていたように思います。

すると夕方ごろ1本の電話が。

彼女からの電話でした。

「今病院でね、これから無菌室に入るの。ここから出てきたらもう終わりだから

そしたらまた遊ぼうよ」

そのときには私も受験も終わってるし、いろんなことして沢山遊ぼう!

あんなこともこんなことも・・・話ははずみました。

そして最後にばいばい。

いつもの調子で別れました。

その3週間後のことでした。

11月24日。

彼女は感染症にかかり、なくなりました。

18歳でした。

私がそれを知ったのは連休明けの翌日。

担任の先生が泣き腫らした目で入ってきました。

そのときすら私は彼女のことを疑いませんでした。

そのあと発せられた一言で本当にどん底へ落ちました。

なぜ!?彼女が。

まずそう思いました。

あんなに頑張ってた彼女がなぜ?どうして?

それからは毎日毎日なき続けました。

お通夜もお葬式もなんか信じられず、ただただ自分を悔やみました。

もっとああしてあげれば、もっとこうしてあげれば、もっとわかってあげられたんじゃ

ないか、もっともしかしたらささえになれたんじゃないか。

彼女が毎日苦しいのに学校に来ていたのはみんなに会いたいからでした。

彼女が苦しくても苦しくても勉強に励み、クラスでトップになったのは

「私は負けない」、強い意志からでした。

知っていたのに、何にも出来なかった。

何にもしてあげられなかった。

そして今も何にもしていない。

その思いから勉強に励み、必死に毎日を送りました。

そして今の道を見つけ、大学にいき、大学院へすすみ、今があります。

私は彼女がいなければ今の道のみならず、友人の大切ささえわからない

寂しい人間になるところでした。

小さい、すぐになにかあれば逃げたい、なくなってしまいたい、そんな

人間になってしまうところでした。

今でも確かにそういう瞬間はあります。

でもそんなとき彼女を思い出します。

彼女の乗り越えたもの、きっと今の私より格段に大きい。

そう思うと、これじゃあいけない、そう思うのです。

人間にとって死と向き合うときほど恐ろしいものはないと思います。

それを15歳から18歳にかけて、1人で向き合ってきたのかと思うと本当に

心がつぶれそうです。

私はもっと強くならなければいけない、そう思います。

この人生を生き抜く、それだけがゴール。

これも彼女とであったおかげです。

心からありがとう。

面と向かってはいえなかったけど、本当にありがとう。

私はこれからもしっかり生きていくよ!

本当にありがとう。

この日が来ると毎年、思い出します。

忘れない。

絶対。

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昨夜から忍び寄っていた痛みに気付かなかったわけではないのですが。

きっと女のこの日のせいだからすぐに治るだろうと甘く見ていたのです。

腰痛。。

この日、朝から痛みで目が覚め、その後は地獄。

横向いても上向いても、うつ伏せになったって、とにかく痛い。

薬は効かず、シップは意味なし。

耐えるしかない時間。

まるで陣痛のようです。

久しぶりにやってきました。

寒さもあるのだと思いますが。

苦しんでいる私のひとつの助けは夫。

家事、育児、すべてそつなくこなしてくれました。

息子を連れて散歩まで。

しかも2時間。

逆にどこにいったの!?なんて心配になりましたが、2人して笑顔で

帰ってきてとてもほっとしました。

毎日、働き通しの彼ですが、育児も家事も実はしっかりできるんだなあ

と感心。

というより感動。

夫婦助け合って・・・てまさにこれか!!

感謝、感謝です。

おかげさまで私の腰痛は夜には大分軽くなりました。

これからはきちっと腰も管理しなきゃ。。

そしてこの恩は忘れないぞ!!

と心に決めた日でした。

本当にありがとう。

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今日、11月22日はいい夫婦の日。

我が夫の誕生日、また結婚記念日でもあります。

結婚式自体は12月頭。

すでに一緒に住み始めていたのもあったし、このいい日がせっかく夫の

誕生日なのでこれを使わないと!!ということで当時住んでいた川崎に

2人で届けを出しにいきました。

懐かしい話です。

と、いっても我が家、どちらも結婚記念日というものに無頓着。

付き合いが長いのもありますが、いまいちどう祝っていいかもわからず。

しかも誕生日と一緒なので逆にかき消され、今回も夫の誕生日を祝い

終わりました。

夫の大好きなアップルパイを作ってお祝い。

プレゼントは・・・また今度(笑)

お互い、欲しいものが出たときに自分で買って、あとでお金をもらうという

妙なサバサバシステム。

昔はえーとおもっていましたが、すっかり慣れました。

逆にものぐさな私にはあってるかも・・・。

でもちょっと相手が選んだものをもらえないというのも寂しいです。

今回で3回目。

色々ありましたが、夫のおかげでいい夫婦をやれていると思います。

喧嘩もしますが、それも仲良しの秘訣か・・・?

これからも末永くよろしくお願いしたいものです。

家族が増えて2回目。

去年の今頃は何してたっけ。

っとブログをみてみると、祝、2ヶ月の文字。

そうか、今日は息子1歳2ヶ月目なのね!!

すんごいめでたいね、この日。

盛りだくさんね。

ちなみにおととい、計ったところによると息子は・・・。

身長 78センチ

体重 11.6kg(服込み)だったのですが、

1年前のこの日は

身長 約60センチ

体重 約6.2キログラムだった模様。

身長、18センチものびたの!!

体重もほぼ2倍!!

びっくり。

とっても大きくなりました。

ほんと喜び一杯の11月22日。

ああ、めでたや。

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そろそろ4月入所に向けての準備を真剣に始めなければいけません。

なんとまだ見学も行かず。。

のんびりな母です。

夫にせっつかれてこの前ついに電話。

一応第一志望の園に。

「4月から入所させたいので見学へいきたいのですが。。」

そういうと相手はとてもぶっきらぼうな感じで

「学校とお名前、教えてください」

「??」

なんだ、学校って!!

驚いて「学校はいってないですけど、名前は○○です」というと

相手もなんだか驚いた様子で「そうなんですか?!」

とにかく園長がいないのでその日時でいいか聞いてまた、連絡

します、といわれがシャン。

うわー、第一志望なのに、感じ、悪!!

ショックをうけつつ家事をしていると10分後電話が。。

出ると先ほどの園。

先ほどと人が違うようで、今度は丁寧な人。

「看護婦から聞きましたが、電話をくださったそうで」

どうやらこの人は保育士さんらしい。

「4月から入所させたいので見学したいということで・・・」と話すと

やはりまたあの質問。

「学校はどちらに?」

息子、1歳なのに学校いっているわけないでしょ!!

と、おもい、思い切って「学校ってなんですか?」

と聞くと「え!!資格持ってないんですか?」って。。

で、ようやく見えてきた。

どうやら私は就職活動中の保育士さんだとおもわれていたようで。。

・・・話がかみ合ってなかったのね・・・。

入所させるっていったじゃん。。

お互い、ようやく理解に到達。

結局、園を解放しているときがいいですということになったのですが。

いやあ、びっくりの珍事件。

次にもうひとつの園に電話したときには「子供を4月から入所させたい」

とかなり子供に力を入れてアピールしたのは言うまでもありません。

それにしても早く行かねば。。

ついつい後回し。

いけませんね。

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息子は車が好きだ。

その愛は激しい。

他の車にせずとも、バスを見かけたら手を振る。

必ずではないが、頻度はかなりのもの。

うーん、深い。

そんな彼はもちろんマイバスも持っている。

実家にはロンドンバス。

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この赤いバス。

側面には音楽が鳴るボタンが6つもあって、昔からすごい気に入っている。

家ではようちえんバス。

黄色い100円ショップでなんとなく購入したもの。

かなりこれもお気に入りで、最近は私に向かってこれをおき、さあ、動かせ

といってくる。

仕方がないので、ぶっぶーとかいいながら動かすのだが、これも2回すれば

大人は完全に飽きる。

しかし、息子は飽きないらしい。

何度も停車して終わらそうとする私に「うー!!」といい、続けさせる。

ああ、エンドレスーーーーーーー。

特にお気に入りはバック。

ぴーぴーいいながらバックするとにんまり。


さて、今日は夫が出張のため実家に止まったのだが。。

もちろんようちえんバス持参。

すると息子、激しく遊びだす。

ばあばがロンドンバスを走らせると、どーーーーーーーーん。

e0116617_164680.jpg


うーん、正面衝突。

果ては両手にバスを持ち激しく打ち付ける。。

100円バス、ようちえんバスはバンパー外れて事故車に。

ああ、君の愛はわからない。

ぶつかるたびに大笑い。

・・・バスの乗客、笑えねえ・・・。

残酷~。

しらないことは恐ろしい。

でも本当は大好きなバス。

将来はバスの運転手か??

なんて思いながら、ふと、バスの運転手って月給どのくらい?と現実に

かえる母なのでした。
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いつもならママ友と遊んだりする月曜日。

遊び友達は実家へ、仕事へといなかったので、初めてデパート内の

有料遊び場へ息子と2人きりで行ってきました。

20分300円。

沢山のボールの入ったプールや、アスレチック、おもちゃも沢山。

ちょっとお高いですが、はりきって入場。

中には3才くらいの男の子2人組とその母のみ。

お母さんたちは遊び場の中においてあるリラックスチェアにゆっくりと

腰をかけて、息子たちは縦横無尽に歩き回り、その場所のおもちゃで

遊んでは次、遊んでは・・・の繰り返し。

息子よりかなりしっかりしている彼らとはもちろん遊べそうにないので

まずは息子を2人のいないボールプールへ。

しばらく遊んでいたものの、すぐに飽き。。

這い出てくると、目の前には線路、そして自動で動く機関車。

車のみならず最近は電車にも興味を持ち出した息子にはうれしいおもちゃ。

早速かこいで囲まれたその場所へ。

・・・しかしそこには必死に線路を組み立てる3才?の男の子が1人。

やばいかな~とおもいつつ静観。

息子が走っている機関車を持ち上げると、やはり。。

3才の男の子が息子の髪の毛を後ろからすんごい力でぎゅーーーーっと。

しかし、これは息子もいけない。

まだ物事がわからないとはいえ、相手にとっては嫌なこと。

でも暴力はなあー。。

・・・3才くらいだから仕方ないけどね・・・。

色々考えつつ、現場へ入り込み、引っ張る手をごめんねーといいながら

やめさせる。

息子はもちろん大泣き。

無邪気な彼には何でそうされたかもわかるまい。。

するとそのお母さんも息子の泣き声で気付き、椅子から振り向いて、3才

の息子を威嚇。

これでひと段落か、とちょっとはなれた同じスペースで違う電車であそば

せていると、再び。。

彼がやってきて、息子の持っているものを取り上げる。

そんでもってまた髪の毛ぎゅー。

これは息子には非はない。

でも相手は子供。

痛いからやめてあげてねといいつつ、息子には違う電車を渡し、収める。

するとまた泣き声で気付いた彼のお母さんの怒号が。。

3才の子はすっとその場を離れて、また一人で遊びだす。

ときどきちらりちらりとこちらを見ながら。

私もついちらりちらり。

いまいち場のおさめかたに自信がないのもあるが、なんとなく彼が

とっても寂しそうに見えた。


しばらくすると彼のお母さんがようやくやってきて、一緒に遊び始めた。

するとどうだろう。

息子に走る電車が見えるように線路を組んでくれたり、おもちゃを貸して

くれたり。。

急にくるり。

お母さんも私のところへやってきて、すみませんと謝ってくれ、場が

静かにおさまる。

・・・そうか。お母さんと遊んでいる息子がうらやましかったのか。

一人で寂しかったんだねえ、やっぱり。

急に元気になった彼を見て、ちょっと安心。

やっぱり母の力ってすごいのねえ。

客観的に感じてしまった。

息子もこれからきっとこういう思いをする日が来るかもしれない。

もちろん極力ないようにはしたいけれど、職場もまた甘くあるまい。

イヤだなあ。

ずっといたいなあ。

働きながらもしっかり愛情を注いでいけるよう、しっかりしないと。。

同時にとてもこれからが心配になったのでした。

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昨日の経験を踏まえて、午後早めに出発。

2つの公園をはしごしました。

どちらも芝生の公園。

息子を歩かせようと、夫は必死で息子と練習していました。

でも気が乗らないときはだめ。

足がふにゃふにゃになって、腰も砕け、気付いたら。。

・・・大の字。

のっそりと起き上がったかと思うとやはりおいしそうに。。

・・・枯葉に手を・・・(汗)

一緒に滑り台をすべったり、もうひとつの公園ではブランコに乗ったり。

2日分の遊び。

息子もうれしそう。

外で遊ぶこともそうだけど、やはり他の子供が気になる様子。

同じくらいの子やちょっと上のお姉さんなんかがいると、そっちへいきた

がったり。

しきりに眺めたり。

遠くのベンチで話していた小学生の女の子も気になったようで、腕を

引っ張られ、一緒に近くまで行きました。

すると女の子たちはおやつタイムだったようで、息子にとられると思った

のかさっと隠し。。

・・・いりませんけど(苦笑)

母は変な気分になりました。

いろんな人を見学して、それも吸収しているのでしょうか。

ひとなつっこい息子の積極的な行動に驚かされました。

ずいぶん子供らしくなったものだ。

他人を意識するようになったんですね。

小さなことだけど、妙に感動してしまいました。

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